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我々みたいに視覚に頼って同じ映画を観ているつもりの人たち同士だって、話しててそれ同じ映画?みたいなこともあるし、
もっと言えば、観ているものは本質的に違う。ましてそれをどう咀嚼するかについては絶対に違うわけで、
全部は一致はしないんだけど、すり合わせていって、ここはわかった気がする、けどここはわからないとわかる。
そんなもんじゃない人間同士?という、そういう原理的なところまで描いている。
——ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティー)※TBSラジオ「アフター6ジャンクション」より
 
日本語話者である私(たち)はふつう、日本語が通じない人を「何かが欠けた人」だとは思わない。単に別の言語を使う人として、経験上、ある程度想像できる。しかし、同じ視覚を持たない人(視覚障害者)については、つい「視覚の欠けている人」と思いがちである。それを単に、視覚を偏重して生きている私(たち)とは別の感覚を持つ人、として想像するだけで、こんなにも世界が広がる。共感できない世界こそおもしろい。
——能町みね子(エッセイスト/漫画家)
 
夢みること、もがくこと、生きること、すべての意味が自分の中で変わってゆきました。
——穂村弘(歌人)
 
主演の加藤さんの常に冷静な人がらに呼応してか、カメラもまた落ち着いて丁寧に加藤さんや映画スタッフの仕事ぶりを追っている。映画作りのことなら多少は自分も知っているはずなのに、彼らの映画作りの過程から目が離せない。耳もいつもより使ったような気がする。冷静沈着な加藤さんが「興奮を抑えるのに必死だった」と告白する場面の、ストレートな感動。最初から最後までスリリングだった。
——三宅唱(映画監督)
 
この映画は徹頭徹尾“裏方”の映画である。光に対して闇、昼よりは夜、映画というスポットライトの陰で生きる有象無象の者たちこそがこの映画の本当の主人公である。同時に佐々木監督自らが目を閉じることで加藤監督に寄り添い、いつからかまことしやかに総合芸術と言われる“映画”というものが、誕生するかしないかの瞬間を私たちと共有しようとする。言うなれば観客もいつの間にか目を閉じて一緒に“裏方”になってしまう映画だ。そしていかにテクノロジーが進歩しようがしまいがその瞬間映画はただ単に“謎”であり夜の果てだ。だからこそ最も危険で刺激的でもあるということをこの映画に関わった全ての人が指し示すことになる。「自動運転じゃあ、つまらないぜ」荒野を走り続ける夜の旅はまだ始まったばかりである。
——相澤虎之助(空族/脚本家・映画監督)
 
主演の加藤さんのキャラが強いサイボーグみたいで、目が離せない。映画ができるまでの工程を知ることができるドキュメンタリーでもある。その工程の大変さや面白さに、加藤さんが全盲であることを途中途中忘れてしまう。わたしが好きなのはオーディションするシーン。顔を見ないでどうやって判断するのだろう?今まで、私は容姿で人を判断してきたことが多いと思うのだけれど、その判断はあってたのかな?と疑問に思うようになった。上映中、観客は目が見える世界と見えない世界を行ったり来たりするゴーストになれる。
——青羊(けもの/シンガーソングライター)