2017年12月18日
「ドキュメンタリー虎の穴」

出演者:大林宣彦(映画監督)、金子遊(評論家・映像作家)、土屋敏男(日本テレビ日テレラボ シニアクリエイター)、高木祥衣(OurPlanet-TV)
プレゼンター:加藤秀幸、佐々木誠

収録風景
収録風景

6分間のプレゼンとその後の質疑にもとづいて視聴者が「どのプロジェクトを応援したいか」投票し、その結果で制作費が振り分けられるという番組企画「ドキュメンタリー虎の穴」。
視聴者アンケートで80%以上いただいた結果、制作費253,333円を獲得しました。
以下は、質疑のやり取りをまとめた記録です。

佐々木誠(以下、佐々木):映画『ナイトクルージング』監督の佐々木です。よろしくお願いします。

加藤秀幸(以下、加藤):『ナイトクルージング』に出演しております、加藤です。この映画の中のSF映画の監督を務めさせて頂きます。

佐々木:加藤は生まれつき全盲なのですが、初めて映画を制作しています。そしてその制作の様子を僕がドキュメンタリーとして撮影しており、そのドキュメンタリーの中に加藤作の映画も組み込んで構成されるのが映画『ナイトクルージング』です。

金子遊(以下、金子):現在制作中ということで、興味深いですね。佐々木誠監督は独立ドキュメンタリー映画系の中では有名な方です。前作は『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』という障害者の方の性の問題を奥深くまで描いており、ドキュメンタリーマガジン「neoneo」の最新号である9号にも佐々木誠論が掲載されています。そういう方の新作なので、期待のできる感じはあります。

土屋敏男(以下、土屋):これは加藤さんが映画をつくるところを佐々木さんが記録するの?

佐々木:そうです。

土屋:映画の中に映画があるということ?映画は劇映画?

加藤:実写パートとCGのパートがあります。それをシーンごとにつないでいく形になっており、今のところは実写パート二つ分が撮れたところです。(SF映画の部分は)先程ブルーバックで撮影しているシーンがあったと思うのですが、バックにCGを被せていただくという感じです。こちらはまだ撮り始めたばかりです。

土屋:脚本は完成しているんですか?

加藤:脚本は自分で書いて、完成しています。

土屋:そもそもなぜ映画を撮ろうと思ったのでしょうか?

加藤:自分は映画が好きで、いろんな映画館で観ていました。ただ、「(目が見えないから)映画は聴くんでしょ」と言われることが嫌でした。テレビも同じ。映画は観るものだし、「映像が(見え)なければ理解できないだろう」と言われることも嫌です。説明してもらえれば理解できるところもあるし。
子どもの頃、映画館に行ったときに、母親に説明してほしいと頼んだら、一所懸命に説明してくれました。ただ、映画は静かに観なきゃいけないものであるので、隣のおじさんに「うるさい」と怒られました。そんな悲しいことってないなと感じました。
今は音声解説というもの(視覚情報を音声により補助するガイド)があり、あれを聴くことによって状況を理解して、役者さんが動く音だったりSFを通して僕らは映像を理解していくわけです。だったら自分で映画をつくってみて、「見えないということはこういうふうに映像を理解しているのか」ということを表現できたらと思いました。自分がつくる映画で、自分の頭の中ではこうやって想像してるんですよと表現できれば、映像ありきでつくられている映画とわたしがつくる映画の間に壁があったとしても、少しでもそれを低くできればいいなと。若干喧嘩腰であるかもしれないけれど、理解いただけないかもしれないけれど、やってみようと思ったのです。

金子:聾者の方の映画にはヒット作が多いですよね。『LISTEN』もそう。完全に無音にしている映画です。森達也さんの『FAKE』も佐村河内さんの話。
しかし、歴史的に見て、全盲の方の映画を撮るというのは、これが初めてになるのでしょうか?相当画期的な出来事ですよね。

大林宣彦(以下、大林):これは相当にすごいことだと思って、楽しみにしています。

金子:子どもの頃に少し視覚があって、イメージが頭の中にあるというわけではないんですよね?

加藤:自分は先天的な全盲なので色がまったくわかりません。(さまざまな色の紙が貼られた黒いボードを触りながら)これは日本女子大学の先生が視覚障害者に色を伝えるためにつくられていた「いろポチ」と言われるものなのですが、これを使って色を伝えています。自分は「赤が似合う」とよく言われるから赤が好きかもしれない、でも真っ赤では嫌なので少しオレンジ寄りかなとか。これは今回大きいものをつくっていただいたのですが、もともとは色の名前の隣に点字がついています。

大林:あなたは今、「赤」とおっしゃったけど、極端に違う緑を含めて、あなたの感覚と感受性の中にその色はどうあるんですか?

加藤:そもそも色って何かな、とは思っています。視覚障害をテーマにした映画もいくつかあって、『MASK』という80年代のエリック・ストルツ主演の映画があるのですが、その映画の中で全盲の女の子に色を伝えるシーンがあります。赤は熱くて、青は冷たくて、というように。そういうイメージはそれぞれ持っていると思う。例えば自分は、赤は四角、黄色は三角、という感じで頭の中に持っていたりはします。

金子:「neoneo」の9号をつくった時も思ったのですが、障害者は健常者よりも能力が欠如しているのではなく、この世界を健常者とは異なった、ユニークな感性で生きている、さまざまなパースペクティブでこの世界を生きているということがわかってきた。この映画は、おそらくユニークな作品になっていくと思います。また面白いのは、佐々木さんがその加藤さんが映画を制作するところを撮るという「映画内映画」になっているところです。

佐々木:わたしが撮っているドキュメンタリーも、加藤の映画のメイキングというのではなく、その二重構造が面白いかたちになるドキュメンタリーにしようと思っています。

大林:それは貴重な映画になると思いますよ。例えば、最初に車に乗ってますね。あの時のあなた(加藤)の運転した感想が知りたいです。

加藤:車の運転って僕らにとっては夢なんです。旅行会社が企画して、全盲者が100人ほど車を運転するというツアーがあるのですが、これに初めて参加したときに、まさか自分が運転するなんて思っていませんでした。それで、ハンドルを持ち、エンジンを掛け、あのアクセルを踏んだ時に伝わって来る振動は、助手席に乗っているだけでは感じられないものでした。その時には映画をつくらないかというお話を頂いていたので、この感覚は映画に生かさない手はないなと思ったので、せっかくなので脚本の中に入れてみようと思いました。

大林:体験したことは出して欲しいし、そういう意味では、きっちり2本つくられた方がいいと思います。あなた(加藤)のおつくりになる映画は、目が見えない人が映画をつくることの単なるモデルにならないで、僕はあなた自身が世界をどう認識しているのかが一番知りたいことだし、そのことがきっちり出るような作品にして欲しいなと思います。
そして、僕が新しい人が映画をつくるときにいつも言うんですが、「他人のように成功するより、自分らしく失敗しなさい」ということ。それが新しい自分の個性の表現なのです。他人のように成功してみたところで、「よく似ていていいけど、あの人には届かないわね」で終わってしまう。表現の世界に偽物はいらない訳で。いつも本物ですから。
今あなたがSFをつくるというときに、いわゆる健常者と言われる人とはきっと違う世界観のSFがなきゃいけない。SFとはこんなものだったか、SFというものの概念すら変えるような衝撃を持った世界をあなたが生み出してくれることを期待しています。
それは僕にはないあなたの能力。見えないから自分ができることを一生懸命生かして、僕たち以上に優れた才能をもって、聞いて、想像して、感じて、そこにあなたが願う素晴らしい世界があるんだろう。その世界を僕たちに見せて欲しいなというように思います。

加藤:映像化するということに壁はいくつもあるだろうなとは最初から思っていました。ただ、そこに映像をCGの方につくっていただくように、言葉で置き換えれば共通言語があれば、自分が思っていることを伝えたり、映像をつくっている方も提案したりしやすいのかなと思い始めました。例えばそれが先程、映像で流れたレゴであったり、粘土であったり、半立体化した絵コンテです。

金子:「ナイトクルージング」というタイトルにはどういう意味があるのでしょうか?

佐々木:一緒に映画をつくっていくというのは、比喩的な意味もありますが、見えないところを一緒に探りながらクルージングしていくようなものなのかなと思っています。映画は一人ではつくれないものなので、そういった意味合いも込めて、このタイトルにしました。

大林:「見える」ということが前提で皆生きています。そういう人の数が多いから、制度になって、当たり前になっている。そして、目が見えないということは異常である、障害者であると。これは制度が生むからであって、本当はみんな自由。壁があるってあなたはおっしゃるけれど、壁は夫と妻の間にも、親と子の間にもあるのです。あるのが当たり前なんです。その壁の向こう側の人をどう理解していくのか、その力が映画にはあるのです。だからあなたは素直に、自分自身として表現されるのが一番いい。
例えば、ヒロインを描こうとすると、僕たち見える人間のヒロインは、目で見てかわいいということが事前にある。あなたにとって美人ってどういうものなのだろう?例えば触ってご覧になったときに、あなたが美人だと思うものが、僕が思う美人と同じなのだろうか?それがとても知りたいし、それがエンタテインメントなんだと思う。

加藤:そもそもまず、「美人ってなんですか?」というところから始まります。顔が美しいのが美人という理解を自分はしてきませんでした。それで、骨の形を触らせていただいたりとかしました。直接「あなた美人ですか?」って聞いて、「そうです」と答える方もあまりいないし、誰かが「あの人美人ですよ」と言ったところで、顔を触らせてもらえるわけではないですし。なので、アンドロイドの顔を触っているのです。

大林:そこなんだよ。「美しい」ということは見えない人にはない(概念)かもしれない。
でも、美しいという言葉の根源を紐解けば、僕にとって優しい人、居心地のいい人、安心できる人、になるわけでしょ。見た目が美しい人よりその方がよっぽど美しいじゃない。
ということは、僕たち以上にあなたはこの世界の美しさを感じる力がある。それを表現して欲しいの。
そうしたらあなたは優しい、限りなく優しい人、一緒にいるだけで限りなく居心地のいい人をここに描けばいいわけであって。僕たちが、「おぉ、この子、美人でかっこいいじゃない」ってものをあなたがつくる必要もない。
そこをいわゆる健常者と言われる人たちに負けないで、あなた自身が持ってる幸せな世界を描いてもらうことが、実は目が見える人やいろんな人を含めて、世界の人たちが戦争もしないで仲良く一緒に生きていこうという力になるのです。そういう力にあなたの立場から映画をつくって頂ければ、本当に目が見えないっていうことは素晴らしい、見た目の情報や美醜に惑わされないで、この人の優しさが本当にわかるんだなぁと、あなたの映画を見た人が感じてくれることが、あなたの映画の本当の素晴らしい価値だと思います。

僕も聴覚障害の方のための映画をつくったことがあります。いろいろ勉強しました。その時に悩んだのが音楽のこと。いくらがんばって音楽を付けても、聞こえないのでは仕方がない。ではいっそのことサイレント映画でもいいのかと真面目に考えました。
でもやはりこれはご当人に聞いてみた方がいいと思いまして聞いてみたところ、「たとえ映画に音楽が付いていなかったとしても、素晴らしいドラマや美しい風景が映れば、僕たちにも自然に音楽が聴こえてくる。だから、全編音楽が付いていなくても、全編音楽が聴こえてくるような映画をつくってください」と言われたんです。僕はこれには感服しました。

そして、実際にトライアスロンをやる方でしたので、宮古島に二人で行って、二人で海を見ていました。というより、海を見ていたのは僕だけで、彼は海を聴いていました。
その時に彼が「大林さん、海の波の音ってオーケストラのようですか?」って聞くのね。「君はオーケストラを知っているの?」と聞いたら、「僕は聴こえませんけれども、世の中の人が楽しんでいることは自分でも体験したいと思ったから、オーケストラを見に行きました。向こうからも波が押し寄せてくる、こちらからも波が押し寄せてくる、それがぶつかってポーンっと飛び散っていったりする、あの音はどんなふうに聴こえるんだろうと思いながら波を見ていたら、きっと波の音だと思いました。」と。

また彼は、「向こうの崖に生えてる小さな一本の草、あの草が風にそよそよ揺れていますけれど、あれはどういう音なのですか?」と僕に聞いてきた。「ごめんそれは、僕には見えるけど、遠すぎて聴こえないんだよ」と言ったら、「え、大林さん、聴こえないんですか?!」と彼は驚いていました。耳が聴こえない人に聴こえないのですかと言われるのは不思議な感覚でした。
「じゃあ、君は聴こえるの?」と聞いたら、「僕はあれは、オーケストラの中にいるヴァイオリンのソロが今奏でられていると思った」と。全て想像力だけれども、彼にはどんな小さな草のそよぎも聴こえる。僕には聴こえる音しか聴こえない。僕には限界があるが、彼には限界がない。そういうことで非常に人間的な嬉しい世界を過ごしたのです。

彼らは、「皆、耳が聞こえないことは皆、障害とおっしゃるけど、わたしたちにとっては個性であり能力です」と言っていました。「わたしは誰よりも妻の顔を見ています。声が聞こえないから、妻の表情を見ています。そうすると、妻が、嬉しいわと言っても、どこか悲しそうなことまでわかります。そして、悲しそうな顔をするからどうしたの?と、より会話をするから、妻の心も私にはよくわかるのです。大林さんたちは、奥さんが大丈夫よと言えば、それで安心してもう聞かないでしょう。僕たちの方が、夫婦愛も耳が聴こえないおかげでより強いのです」と。
なんて豊かなのだろうと思いました。我々から言うと足りないと思われているものを、この人たちは足りてると思うもの以上に満たす才能があるんだと思いました。
という体験があるので、せっかく目の見えないあなたが、本当にそうですよ、僕には見えてしまうおかげで、人の美醜も、うちの奥さんの皺も見えてしまう。それがなかったらきっと永遠に少女のままですよ。

そういう世界を生きているあなたが、どういう映画をつくってくれるのか。あなたが持っていらっしゃるものをより生かして、その魅力を出して欲しい。
あなたは、何の不自由もなく、と敢えて言いますが、一人の人として生きてらっしゃって、映画をつくろうという好奇心まで持っていらっしゃるのだから、あなたの個性に素直に、目が見える人のように上手くつくるよりは、目が見えないから当然失敗もするだろうけれど、その失敗はあなただからできるチャーミングな失敗なんだから、それがあなたの表現だということに誇りを持って欲しい。

そういう意味で僕はあなたの作品をとっても楽しみにしていて期待しています。そして、この映画を観る人は貴重な体験ができるはずです。この映画は、安心して見える、安心して馬鹿になっている僕たちをきっと戒めてくれる、素晴らしい作品になるだろうから、NothingなしでAll or Allでぜひ実現させたい映画です。それが、目が見えるという結果を持っている僕たちの責務です。僕はそう思います。

番組終了間際、加藤が生まれて初めて観た映画『少年ケニア』の監督が大林監督だったことが御本人から明かされ、驚く加藤。「すみません、何も知らないで」と謝る加藤に、大林監督は「いいんだよ、わたしだってあなたのこと知らなかったんだから。今日会えたのは運命だね。上の人はちゃんと会わせてくれるんだよ。こうやってみんな繋がっていくんです」と声をかけてくださいました。
大林監督はじめ出演者の方々、応援いただいた皆様、本当にありがとうございました!

(左から)加藤秀幸、大林宣彦
(左から)加藤秀幸、大林宣彦

クラウドファンディングのリターンとして開催を予定しているスペシャル上映会の日程とトークゲストが決定しました!

開催日:5月20日(日)
会場:ユーロライブ(東京都渋谷区円山町1-5)http://eurolive.jp/
ゲスト(予定):能町みね子さん(エッセイスト/漫画家)

能町さんには監督の佐々木の過去作品『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』もご覧いただいており、映画専門チャンネル「ムービープラス」ではオールタイム・ベストの一本に挙げてくださっています。
能町さんは本作品をどういう視点でご覧になるのでしょうか。ご期待ください。

このスペシャル上映会は、クラウドファンディングでご支援いただいた方限定の開催となります。
12月21日(木)午後11:00まで行っておりますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
https://readyfor.jp/projects/nightcruising

能町みね子
北海道出身。近著「雑誌の人格」「雑誌の人格2冊目」(共に文化出版局)、「ほじくりストリートビュー」(交通新聞社)、「逃北」「言葉尻とらえ隊」(文春文庫)、「ときめかない日記」(幻冬舎文庫)など。ほか雑誌連載多数、テレビ・ラジオにも出演。

しりあがり寿とめぐる見えない世界!!!!! 映画『ナイトクルージング』
出演:加藤秀幸、佐々木誠、田中みゆき ゲスト:しりあがり寿

見えないことで見えてくる世界とは?見えるから見えない世界とは?つくることを通して、見える/見えないを超える試みを映画として実現するこのプロジェクト。まずは視覚障害について考えたこともない人に向けて、ゲストに漫画家のしりあがり寿さんをお迎えして“見えない世界”をテーマにお送りします。加藤の日常や映画制作についてだけでなく、しりあがりさんの「漫画」という平面の表現をどうすれば全盲の加藤に伝えられるのかなど、ちょっとした実験なども交えながら進めます。見えない世界へようこそ。

*DOMMUNEはライブであればオンラインで以下のサイトからどなたでもご覧いただけます。
http://www.dommune.com/

生まれつき全盲の監督が制作する短編SF映画の出演者を募集します。
映画出演だけでなく、制作のプロセスを描いたドキュメンタリー映画にも出演していただきます。
18年に完成後、映画祭出品、全国で公開予定。
以下をご確認のうえ、ご興味ある方はぜひご連絡ください。
書類審査後、オーディションを開催致します。

オーディション日時:
11/14(火)13:00-17:00のうち、15〜20分程度
会場:東京都障害者福祉会館(三田駅より徒歩1分)
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/syoukan/index.html

撮影日:
12/5(火)または12/6(水)3〜5時間程度

撮影場所:
江東区スタジオ

謝礼:
書類通過者にご連絡

 

応募方法
info@beingthere.jpまで、
下記の必要事項ご記入のうえ、ご返信ください。
・名前
・年齢
・身長
・スリーサイズ
・電話番号
・自宅最寄り駅
・過去の出演歴(ない方はなしでOK)
・バストアップ/全身写真(写メール可です)

締め切り : 11/8 24:00

注意事項
*顔を触られることに抵抗のない方
 (全盲の監督が触ったり会話しながら決定します)
*オーディションの様子もドキュメンタリー映画に収録するため、撮影および公開可能な方
*会場や撮影場所まで一人で来られる方
*オーディションの交通費は自己負担でお願い致します。
*セリフは日本語ですが、完璧な日本語が話せなくても大丈夫です。
 (アテレコあり)
 (日本人の方でも、後から声優によるアテレコがつく可能性があります)

応募条件 :
出演者① 男性
 ・身長はなるべく高い方(180cm前後)
 ・20代後半から30代半ば
 ・西洋人またはハーフの方
出演者② 男性
 ・がっちりした筋肉質の方
 ・身長は170cm前後
 ・30代
 ・アジア系、日本人もアリ
 ・短髪、黒髪
出演者③ 男性
 ・細身で小さめ、線が細い
 ・背は問わないが低めが良い
 ・20代に見える(実年齢問わず)
 ・中性的な雰囲気の方

2017年9月30日(土)
「ナイトクルージングとはなにか?」上映&トーク

出演:加藤秀幸(主演)、佐々木誠(監督)、田中みゆき(プロデューサー)
ゲスト:高嶺格(現代美術家、秋田公立美術大学准教授)

上映の様子
上映の様子

9月30日(土)に行われた上映後に行われたトークイベント。加藤が10年ほど前に見えないガイドとして関わった作品の作家でもあり、障害者含むマイノリティーを扱う作品を多く手がけてきた高嶺格氏をゲストに迎えた。話題は、10年前に加藤が参加した作品『大きな停止』のエピソードから、身体障害者の性を扱った映像作品『木村さん』について同じく障害者と性を扱う作品を手がけたことがある佐々木が語るなど、多岐に渡った。イベントは「ナイトクルージングとはなにか?」というタイトルで開催し、「信頼」をキーワードとして、本作『ナイトクルージング』が扱おうとしているものを伝える初めての機会となった。

(以下、敬称略)

田中:只今上映した映像が、現時点での映像素材になります。制作のフェーズとしては、加藤さんがほぼ脚本を書き終えたところです。今回はいくつかのチームに分かれて制作しますが、大体のスタッフィングができ、いよいよ映像化するというところです。高嶺さん、今回の映像をご覧になって、いかがでしたか?

高嶺:すごくおもしろかったです。主人公の加藤さんとは10年ぐらい前からずっと知り合いなのですが、最初に出会った頃のことを思い出して、それを反芻しながら観ていました。最後の暗闇の中を車で走るシーンはグッと来ますね。夜にライトを消して車を走らせるという感覚や孤独は味わったことがないので。シーンの続きがどうなるのか楽しみです。

田中:高嶺さんは2009年に仙台のメディアテークで行われた『大きな休息』という展覧会の中の『大きな停止』という作品をつくられました。それは全盲の人がガイドをしながら見る展示でした。そのガイドを務めていたうちの一人が加藤さんでした。また、プロジェクトを進める中で「当事者とどう向き合うか」というスタンスが、佐々木さんと高嶺さんが近いのではないかと思い、この場にお呼びしてお話を伺うことにしました。
佐々木さんは、5年前に『INNERVISION(以下、インナーヴィジョン)』という作品を撮っています。今回の『ナイトクルージング』は『インナーヴィジョン』の続編でもあり、『インナーヴィジョン』を観ていない人でも内容がわかるように新作としてつくっています。

マイクを持って話す佐々木誠
佐々木誠

5年前に制作した『インナーヴィジョン』から『ナイトクルージング』へ

佐々木:『インナーヴィジョン』は5年前に制作して、4年前にUPLINKなどを中心として公開した作品です。制作の経緯ですが、View-Net神奈川という視覚障害者団体の代表の方が、「視覚障害者」をテーマにした映画を制作したいというアイデアをお持ちで、いろいろな映像ディレクターや映画監督にあたったようで、その流れで僕も出会いました。
「とにかく視覚障害者を題材にした面白い映画を制作してほしい」というざっくりとしたオーダーがあって、ひとまずView-Net神奈川のみなさんに会うことにしました。その中にいたのが、加藤くんでした。加藤くんは同い年で話も合ったので、加藤くんで何か撮ろうということになりました。
加藤くんの好きな映画は、『ベストキッド』『スパルタンX』『トップガン』で、同い年で同じように影響を受けて育ったこともあり、その時もそんな話で盛り上がったのですが、「なぜ視覚のない加藤くんと映画の話でこんなに盛り上がれるのか」ということがとても面白いと思いました。
その時期は、映像ディレクターとして、ドキュメンタリー、コマーシャル、劇映画などいろんな種類の映像をつくってきましたが、「映画をつくる」というのはどういうことなのかぼんやりと考えていた時期でもありました。そこで、「(見えない)加藤くんが映画をつくる」ということ、その過程を描く映画をつくったら面白いのではないか、いろいろ見えてくるものがあるのではないか、と思って『インナーヴィジョン』を制作しました。
『インナーヴィジョン』は彼が映画をつくり始める直前で終わらせていますが、最初からそうするつもりで制作しています。理由は、彼が書いていた脚本はSFで膨大な制作費がかかることがわかっていたし、その時の目的は、視覚障害者が映画をつくる過程を通して見えてくるものを描くことであって、完成させることではなかったからです。結果、彼のつくるSF映画のオープニングのシーンがドキュメンタリー映画『インナーヴィジョン』のエンディングになるという構成にしました。その先のシーンは観客の皆さんがそれぞれのイメージで描いてみてください、ということで終わらせました。この終わらせ方については批判もあったし、トークイベントでは「続編つくります」と嘘ついたりしていました(笑)。でも「できたらいいなぁ」くらいには考えていて、今回田中さんからお話があって、「時が来たな」と思いました。

田中:わたしは普段は障害をテーマにした展示やパフォーマンスを制作しています。昨年の2月にKAAT神奈川芸術劇場で視覚障害者が出演するパフォーマンスをつくったのですが、その出演者を探していたときに佐々木さんと加藤さんと出会いました。加藤さんと話してみて感じたのは「つくる」という話がわかる人だということでした。普段からわたしが感じているのは、「障害」の有無よりも「つくること」がわかるか否かの方がよほど大きい違いがあって、加藤さんは自然とつくることがわかる人でした。
そして、それがきっかけで『インナーヴィジョン』を観たのですが、加藤さんが映画をつくろうとするところで終わる、というラストは「アリだな」とは思った一方で、小説であれば頭の中で完結させられますが、映像にするとまた別の問題が出てくるだろうと感じました。それを踏まえ、「この映画はまだまだ行ける」と感じました。
映像化する中で、本音も出てくるだろうし、喧嘩もするだろうけど、加藤さんだったらやれるだろうし、面白いものになるのではないかと思い、今回の『ナイトクルージング』を企画しました。それが2年前ぐらいの話で、現在に至ります。

マイクを持って話す加藤秀幸と聞き入る高嶺格
(左から)高嶺格、加藤秀幸

加藤:先ほどView-Net神奈川の話が出ましたが、その団体は視覚障害者団体で、いわゆる啓発活動をしているわけですが、そこで映画をつくりましょうという話が出て、ドキュメンタリーをつくられている映像ディレクターや映画監督何人かに会いました。彼らから出てくるアイデアは、今話題の「●●時間テレビ」のようで、そういうものはもう既にあるし、「かわいそうな視覚障害者が頑張っている」というようなものが多かったです。そんな矢先、変わった映画をつくっている監督がいるのでその人に頼もう、と代表が言い出しました。それが佐々木監督でした。
自分はミュージシャンで作曲もしているので、最初は主演ではなく、音楽だけを提供するはずでした。ところが、さまざまな事情があっていつの間にか自分が出演することになり、自分が脚本を書くことになり、殴り書きみたいなものを書いたら、あれよあれよと話が進んでいって、、、最初はやらされてたかもしれない。でもそうやってそこまでやらせてもらってるうちに、映像の見えない、先天的な全盲のわたしが映画に挑戦したらどうなるのか、という好奇心が湧いてきて、現在に至っています。

田中:たまたま加藤さんと話していたとき、仙台にいたことがある、という話になり、それが先ほど話した、高嶺さんの展示のガイドをするために滞在していたことがわかりました。それで高嶺さんにすぐに連絡したところ、加藤さんのことはもちろん知っています、と。

高嶺:加藤さんに対する質問なのですが、自分が映画をつくっているところをまた別の映画として撮られる、というのは複雑な構造だと思うのですが、どういう感じなのでしょうか?邪魔じゃないですか?

加藤:正直言うと、邪魔ですよ。たまに放っておいて欲しいときはあります。でも、せっかくつくるのだから、つくったものだけを見せるのではなく、映画を制作する過程を観て欲しいという気持ちもあります。

高嶺:(顔や色の研究者を訪問するシーンについて)訪問先のリサーチは田中さんがしているのでしょうか?

田中:基本的にはわたしがやっています。例えば、自分の顔を認識したことのない加藤さんが何の知識もなく思いのまま映画を制作した方が、見える観客は喜ぶのかもしれない、とも思います。でも、加藤さんから出る「主人公は顔があった方がいいのではないか」「どんな顔をしているのかいいんだろう?」といったような疑問を聞くと、知りたい気持ちがあるなら、加藤さんが知ったうえで選ぶのがいいのではないか、と思いました。その上で最終的に、顔は「のっぺらぼう」なら、それでいい。ただ、そこに至るプロセスが大事だと思っています。

パースペクティブのない世界を描くこと

高嶺:加藤さんと仙台でご一緒したときに「見えないということはどういうことか」について話をしました。その時にパースペクティブの話をしたのをよく覚えています。山が遠くにあるときに、それが小さく見えるのがなぜかわからないと。それは自分にとっては自然すぎて、なぜかなんて考えてみたこともなかったので、すごく驚きました。

加藤:触って確かめる場合、遠くに山が離れてあったとしても、手で触れる距離まで追いかければ、その大きさは変わらないはず。そういう単純な話なんです。

高嶺:そうであるならば、遠くにあるものが小さくなっていない世界、パースペクティブのない世界ってどんなだろう、、と想像したときに、「ものすごく観てみたい」と思ったのを覚えています。今回の映画の中にも「加藤さんの頭の中を視覚化する」という言葉が出てきましたが、それは観てみたいと思いました。

マイクを持って話す田中みゆき
田中みゆき

田中:今回制作に参加するアーティストの一人と話をしていて、美大などでは遠近法を叩き込まれてデッサンしますが、それに則って描く必要はないのではないかという話になりました。
この映画をドキュメンタリーにすることの意義は、見える世界と見えない世界の擦り合わせというかぶつかり合いにあると思っています。今回は、映画を制作するにあたって「色」や「顔」などさまざまなジャンルの研究者の方々を訪問してリサーチしていますが、色の先生は「色の実体」なんてない、骨の先生は「美しさ」なんてない、というようなことをおっしゃられます。そうすると、見えている私たちは普段何を見ているのだろう、ということがわかってくる。それくらい、見える私たちはイメージで構成された世界に生きている、ということを認識させられる。一方、加藤さんとしては、見えない世界=加藤さんの頭の中にあるものだけを映像化しても仕方がない、という気持ちもあって。

加藤:そうなんです。わたしが知り得る情報だけで映像をつくっても仕方がない、という気持ちはあります。遠近法や色の組み合わせのセンスもないので面白くないものになるのではと感じていて。なかなか説明しにくいのですが、自分の中の「倫理」のようなものをベースにして映像をつくっていけたら、と思っています。全部見えてる人がつくる映画と同じにしてもわたしがつくる意味がないし、主人公を盲目にするということに意味があります。主人公が捉えている空間の世界観は、自分のオリジナリティーを出したいと思っています。

プロジェクターではなく、「あったかい箱」がある展覧会

高嶺格『大きな停止』展示風景(2008年、せんだいメディアテーク)
高嶺格『大きな停止』展示風景(2008年、せんだいメディアテーク)

田中:ところで、高嶺さんの仙台の『大きな停止』の話に戻ると、加藤さんは仙台から東京にガイドとして行ったのでしょうか?

高嶺:視覚障害者の方を展示のガイドにしたい、というアイデアが出たのは展示がオープンする1か月前でした。そこで急遽仙台の視覚障害者団体にアクセスしたところ、仙台市内で応募してくれたのはたったの5人しかいませんでした。それでは足りないので、京都から2人、東京から3人来て頂いて、その中の一人が加藤さんでした。

田中:加藤さんに聞いて教えてもらったのは、目の見えない人がガイドするということと、映像があるときは見えるお客さんに教えてもらう、ということだけでした。どのような展示だったのですか?

加藤:面白かったのは、プロジェクターが置いてあって、何か映像が映っている(らしい)。研修のときに高嶺さんに「何が映っているんですか?」と聞いても、高嶺さんは「言わない方がいいんじゃないかな」ということしかおっしゃらず、教えてくれませんでした。仕方がないので、「お客さんに何が映っているのですか」と聞くと、「地図が置いてあって線が引いてあって…」という感じで何が何だかわからない。最初プロジェクターか何かもわからないので、高嶺さんに「これは何でしょう?」と聞かれて、「あったかいです。」と答えると、高嶺さんが「じゃあそれでいいです、好きなようにやっていいです。」と。そんな展覧会ってあるかなと。
ガイドの内容は、案内する人によってもその日の気分でも違いました。だから、何回も来られる方がいました。印象に残っているのは、笛の音がなっていて、小さい犬小屋を一回叩くと止まり、もう一回叩くと鳴る、というものがありました。お客さんに叩いてください、と言うと、お客さんが叩いても音が止まらない。実は、何十秒か置かないと反応しない機械だったんですがそれは言わずに、お客さんには「見えない僕らにしか反応しないんですよ」とか適当な嘘を言うのが楽しかったです。

『大きな停止』で全盲のガイドが展示を案内する様子
『大きな停止』で全盲のガイドが展示を案内する様子
腰を屈め、展示物に触れるガイド。背後で青・赤・白のLEDが光っている。
腰を屈め、展示物に触れるガイド

高嶺:(企画の意図について)実際には廃材を大量に使って適当に組み立てたものがありました。ガイドに連れられて会話しながら見てもらうんですが、何が置いてあるのかを最初から説明したくはありませんでした。例えば目の前にテーブルがあるとして、それはテーブルかもしれないけど、違うかもしれない。見えないガイドと見えるお客さんが、会話する中でそれが何なのか決めていく。そのプロセス自体を作品にしようと思いました。急に思いついた展示でしたが、自分でも経験したことのないとても妙な感覚で、わからないんだけどこれは何だと自分でもモヤモヤしていました。今日拝見した映像にも似たような感覚がありました。加藤さんの感覚がこちら側に入ってくるときがあるというか。

田中:あの展覧会がよかったのは、明るかった、ということだと思います。敢えて見える人は見えている環境で見える人と見えない人がやり取りする、そのわからなさがよかったと思います。

高嶺:ガイドの方々には無茶ぶりですよ、と怒られましたが。

見える/見えないをつなぐ、信頼の話

田中:(スタッフ同士の関係性について)私たちは今、『ナイトクルージング』の制作のために2日に1回は会っていますが、結局は「信頼の問題なんですよね」という話を加藤さんがしてくれました。例えば、私が「加藤さん、水です」と言って加藤さんに水を渡す。それが水かどうかはわたしに信頼してもらうしかない。目が見えていればそれが水かそうでないか、ということはある程度はわかる。でも、見えていなければそれは全くわからない。その話はすごく考えさせられました。

加藤:3人でたくさん議論して、クリエイターの方々と話をして、最終的に出来上がった映像の確認は自分ではできない。視覚的に捉えて確認する手段は自分にはありません。ワンカットごとに切り取って3Dプリンターなどで一部を触ったとしても、すべての流れを把握することはできないので。それは信頼している人の言葉を聴いて信じるしかないのかなと思っています。

田中:加藤さんはこれまでも、そしてこれからも見える人から「見えない人の世界を観てみたい」と言われると思います。でも、自分としては「見える人が見えない人の世界を見て一方的に楽しむ、という映画にはしたくない、と思っていて。一方で、見える人が「見えない人の世界を見たい」という気持ちもわかります。なので、見える人と見えない人、お互いが持っているものをどう交換できるか、が大事だと思っています。先程のガイドの話にあるように、「プロジェクターです」と言ってしまったら元も子もない。四角い箱であったかい、でいいのではないかと。わたしの中では常にそのせめぎ合いがあります。佐々木さんはどうですか?

佐々木:そもそも僕は見える人の「見えない人の世界を観てみたい」という要望に興味はないです。僕と加藤くんは映画の話をしても、共有できているので。見えてても見えてなくても、相手が何考えてるかはよくわからないわけだし。ただ、今回こういうテーマで映画をつくるとなると、どうしても「見えない人の世界」がどうなのかという話になるのはわかるので、そこをどう自分で処理していくか、というのは大切なことだと思っています。
それから、僕は『ナイトクルージング』という映画の監督でもあるけれど、加藤くんが撮りたい映画の助手のような立場でもあるわけです。さまざまな方法で彼の“ビジョン”をどう具体化していくか、ということの面白みは、普通は視覚がないと面白くないだろうと思ってしまう。それは何なのだろう、と最初に思った疑問が、加藤くんが映画をつくることによって明らかにされるのかもしれません。それが正しいのかどうかはわからないけど、そういうことが、彼のビジョンを映像として具体化して行く行為なのかなと思っています。加藤くんの映画が出来上がったら、絶対に「(加藤さんではなく)佐々木が撮った映画だ」と言う人が出てくると思うんですが、そんなことは絶対にないです。加藤くんすごい頑固なので。加藤くんからシナリオが出来上がってきたとき、自分も脚本を書く仕事をしていたので、「こうしたら?」って提案しても、無視されています。僕にできるのはアドバイスだけです。加藤くんの中に確固とした映画は既にあるんです。

田中:この間、加藤さんが料理をするシーンを撮影したのですが、加藤さんは普段料理もするし、家事もします。今回は映画の中にそういう日常のシーンも積極的に入れていきたいと思っています。

佐々木:前回の『インナーヴィジョン』の時も彼の料理をつくっているシーンも撮りました。ただ、「●●時間テレビ」的にはそういうシーンはおいしいのかもしれないけど、自分はまったく面白いと思えなかった。視覚障害者の中にも料理が上手な人は当然いるだろうと思っていたので、そういうシーンは一切入れず、淡々と映画をつくっていくだけの作品にしました。でも、今回は入れる予定なのは、「料理をつくる」というのはクリエイティブな行為だし、それを入れることで彼の“イメージ”を共有できるのではないかと思い、考え方を改めて入れることにしました。

田中:キッチンは加藤さんの独断場なので、撮影シーンは割とピリピリしてましたね。どこに何があるのかは全部加藤さんが記憶しています。そこに佐々木さんが「皿はここに置いていいですか?」とビクビクしている。さっきの水の話じゃないですが、加藤さんは全部の位置でモノを把握してるので、塩の位置に砂糖を置かれると混乱してしまう。

佐々木:「ビール買ってきたけど冷蔵庫に入れようか?」なんて言ったら、「どこにも入れなくていいから」って言われました(笑)。

加藤:佐々木さんは特別で、「何をするかわからない」ということがあります。適当に動かしたものを元に戻さなかったり。だからそう言っただけです。自分は大体どこに何があるか把握していますが、モノがあったデフォルトの場所をテープでバミってそこに戻せとまでは求めてない。でもあまりに違うところに置かれるとわからなくなってしまう。逆に、そういうフラットな付き合い方をしてくれるのが佐々木さんです。自分が目が見えないということに対して、まったく気を使っていない。そういうところが僕が佐々木さんの好きなところです。

『木村さん』

高嶺格『木村さん』(1998年)
高嶺格『木村さん』(1998年)

田中:佐々木さんは高嶺さんの『木村さん』(森永ヒ素ミルク事件の被害者で重度の身体障害を負った木村さんの性介助を高嶺自身が行う様子を収めた9分の映像作品)を観たことがあるんですよね?

佐々木:もう8、9年ぐらい前の話です。障害者の性について活動している熊篠慶彦さんと横浜のジャック&ベティに観に行って。すごく面白かったです。

田中:『木村さん』の最初の方に「これ(木村さんの性介助)を映像として公開する資格が自分にはあるだろうか」といった台詞が出ていますね。「知り合って5年経つけれど、そのことが資格になるんだろうか」という。

高嶺:先ほども出ましたが、「信頼」ということはすごく感じました。信頼してるからこそ一緒にいられるわけで。いかに信頼関係を築くかがすごく大切なことだったと思います。彼は一級の障害者で、自分で食事をすることもできない。例えば僕が部屋に行って、お金を盗ることもやろうと思えばできる。彼はそれを人に伝えることもできない。そういう関係です。しかし、彼は一人暮らしをする選択をしていて、多くの人を迎え入れて、時間を一緒に過ごしている。その彼の覚悟というか、その状態を自分の身体に置き換えて考えることをずっとやっていました。「自分がもし彼の身体だったら、今自分が言ったこの発言に対してどう思うだろう」といったことに始まり、「自分の身体の方が幸せなんだろうか、それとも木村さんの方が幸せなんじゃないだろうか」とか。そういったことをその時期は考えていました。

佐々木:僕も障害者の性を扱った作品(『マイノリティーとセックスに関する、極私的恋愛映画』)を撮りました。その時に映画監督の原一男さんと対談したのですが、僕の映画では障害者の性交渉そのものを撮影していないことに関して「どうして撮らなかったの?」という質問がありました。原監督は作品をご覧になって、「あの関係性なら頼めば撮れたのではないか?」と。僕自身は単純にそこには興味がなかったのと、主人公の障害者の門間さんとは友達でもあったので、友達の性交渉を撮るということ自体が品のないことのように感じてしまって、撮りませんでした。
『木村さん』の良かったところは、障害者の性行為が映ってはいるけれども、制作者と主人公との間の信頼関係が感じられた、ということ。性行為がああいう形で昇華され、作品に品が感じられた。友人の性交渉を撮るのは品がないのではないか、という自分の中の常識とはまったく違うものだった。それがとても良かったし、面白いと思いました。

田中:『木村さん』の良さは、高嶺さんが障害者の主人公に自分を差し出しているところですね。

トーク中の4人と会場の様子
会場の様子

社会とお金

田中:先ほど、木村さんは高嶺さんがお金を盗んでもわからない状況だったという話が出ましたが、わたしは加藤さんがお金を出すときにいつもそれを思うのですが、加藤さんはどうしてますか?

加藤:お金は、わたしは間違えないんです。日本のお札は大きさが違うので。一応触ってわかるようになってるらしいんですが、それは使ってません。

田中:最近、街にタッチパネルが増えてきて、見えない人にとって非常に生き辛い社会になってきていると感じます。例えば銀行のATMはテンキーが付いているものが多いので何とか押せる。ただ、コンビニでタッチパネルしかないときは、わざわざ店員さんを呼んでやってもらうそうです。そんな社会って何なんだろうと感じます。
障害のある人は社会の歪みを受けやすい立場にあると思うのですが、タッチパネル以外に何か歪みを感じることはありますか?

加藤:まさにタッチパネルがそれ。暗証番号を教えないといけないですからね。コンビニの人もいい迷惑ですよ。それから、自分の本職はシステムエンジニアで、らくらくホンのモニタリングや開発に携わっていますが、いわゆるガラケーからスマホに替わって、物理的なボタンがなくなってきている。その点について指摘しても、改善の要望が通るのは3年後ぐらい。その時には既に新しいことが始まっている。

田中:骨の研究者の先生を訪ねるシーンが登場しますが、先生は「美しさってお金になるからみんな夢中になる」とおっしゃっていました。足の指が美しくてもお金にはならないから誰も見向きもしないと。障害の分野はお金で言うと小さなマーケットだし置いていかれがちというのはあるかもしれないですね。
そろそろまとめに入りますが、最後に改めて、高嶺さんはどんな映画が観たいですか?

高嶺:どのようなものでも観たいですが、そもそもテーマがSFなのはなぜなんでしょう?

加藤:主人公が盲目である、というのがポイントです。設定は想像もつかないぐらいの未来ということにしたいと思いました。そうすると、将来はさまざまな技術が発展して、「盲目」という概念すらないかもしれません。でもそこで主人公は、敢えて盲目のまま生きるという設定にしてあります。わたしが単純にSFが好きというのもあります。

高嶺:今日の映像で、骨の先生を訪ねるシーンで「イケメン撲滅協会」なんて言葉が出てきましたが、加藤さんのように目が見えないということは、見た目の美醜からは自由であるということ。そこがアドバンテージになると思います。観る人をそうした自由に導いてくれる映画になる予感がしています。

田中:SFの話が出て来ましたが、SFについても、見える人たちの宇宙のイメージは似たり寄ったりですけれども、加藤さんの持っている宇宙のイメージは異なります。その加藤さんのイメージを見える私たちがどう具現化していくか、どう「自由」を具現化できるか。壮大な設定で苦労していますが(笑)、これからもFacebookなどで活動は報告していきますので、見守っていただけたらと思います。本日はどうもありがとうございました。

写真:丸尾隆一
文字起こし:熊野雅恵
編集:田中みゆき

2018年春に完成を控え、制作も本格化した本作の中間報告として、上映&トークイベントを開催します。
生まれつき全盲の主人公が映画をつくるにあたり、これまでに行ってきたリサーチの様子や、主人公の生活、制作に関する悩みなどをまとめ、現時点での映像を上映します。

また、トークゲストに現代美術家の高嶺格さんをお招きします。
本作の主人公は、障害当事者という側面も持っています。当事者とは、障害者に限らず、社会の歪みの中で本人の意思とは関係なく区別や偏見の対象とされる状況にある人と言えます。
上映後は、これまで作品の中でさまざまな当事者を扱ってきた高嶺さんから映像の感想を伺いつつ、当事者を代弁することについて話したいと思います。

出演:加藤秀幸(主演)、佐々木誠(監督)、田中みゆき(プロデューサー)
ゲスト:高嶺格(現代美術家、秋田公立美術大学准教授)
定員:58名(事前予約制、先着順)
料金:1000円(当日現金精算にて承ります)
日程:9月30日
場所:アップリンク / uplink
申込方法: 定員に達したため、受付終了させていただきました。

ゲストプロフィール:
高嶺格(たかみね・ただす)
1968 年鹿児島生まれ、京都市立芸術大学・岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー卒。パフォーマンス、ビデオ、インスタレーションなど多彩な表現を世界各地で行っている。近年の主な個展に、イギリスを含む4つの美術館を巡回した回顧展「とおくてよくみえない」(2011年)、震災以降の状況をダイレクトに扱った「高嶺格のクールジャパン」(水戸芸術館、2012年)、視覚障碍者に案内されながら巡る「てさぐる」(秋田県立美術館、2014年)など。